普通

私たちは普段、何気なく「普通」という言葉を使う。

 

でも「普通」には、3種類あると思う。

 

 

 

まずひとつが、本来の意味である「一般的な」とか「通常」とか、

 

平均値に入っているもののこと。

 

「普通は──」という言葉を使っている人はみんな、

 

自分が言葉の持つ意味通りのこの「普通」を使っていると思っている。

 

でも言葉通りの「普通」を使えている人は、ほとんどいないと思う。

 

「普通」という言葉を多用する人ほど、「普通」からは遠いんじゃないかな。

 

 

 

ふたつめは、自分にとっての当たり前なことという意味での「普通」。

 

人が言う大体の「普通」は、この「普通」だと思う。

 

人は自分の人生しか体験できないし、主観でしか物事を見ることはできない。

 

「これは普通だな」「いや、これは普通じゃないでしょ」

 

という他人の感覚を体感することは多くの人ができないことらしい。

 

それが私には理解できないんだけど、

 

その話をするとややこしくなるから今日はちょっと横に置いておこうか。

 

で、自分の経験や環境で何が普通かを判断するから、個人的な「普通」でしかないのは当然だ。

 

身近なところでいうと、食べ物が顕著だよね。

 

お肉といえば、西ではまず牛を指すけど、東では「えっ?何のお肉?」って聞くでしょ。

 

特にお菓子は偏るよね。

 

アルフォートが家に常備してある人にとっては、アルフォートが好きとかじゃないんだよね。

 

アルフォートのある生活が当たり前で、「普通」。

 

私はアルフォートを購入したことが一度もないから、その人の「普通」はわからないし。

 

「アイス買ってきて」「うん、わかったー」

 

30分後──。

 

「えっ、ガリガリ君買ってきたの?」「えっ、そうだけど?」

 

「アイスといえば、普通パルムでしょ!」「はあ?普通ガリガリ君でしょ!?」

 

みたいな、個人的な嗜好がつまりにつまった「普通」が見られるアイテムだよね。お菓子は。

 

そういえば最近、友人に「普通に話ができる人がほしいだけなんだけど」って言ったら、

 

遠回しに「その普通は普通じゃないから無理」と言われた。

 

えー、私、普通なんですけど・・・。どこにでもいる何の面白みもない平凡な人間だけどなあ。

 

 

 

最後の「普通」は厄介で、真理とか理みたいな意味での「普通」。

 

正しいことと言い換えてもいいかもしれない。

 

例えば、「高齢の人に席を譲るのは普通でしょ!」というのは、実は「普通」じゃない。

 

みんな知識として高齢の人や妊婦さんに席を譲るものだということは知っているし、

 

多くの人がそうした方がいいとも思っている。

 

でもじゃあ実際に席を譲っている人は、どれだけいるんだろう。

 

私も含めてだけど、何となく見過ごしてしまうことの方が多いんじゃないかな。

 

そういえばそんな歌もあったな。「普通って、理想だ」って。

 

人を思いやるのが人の世で生きる理でそれが正しいんだけど、

 

でもそれは「普通」じゃないんだよね。

 

みんな自分のやりたいようにやって生きているわけだし。

 

 

 

どの「普通」にしても、「普通」を持ち出すと自分も周りの人も苦しくなる。

 

普遍的とか一般的とかという意味での「普通」を知っておくことはすごく大事だけど、

 

自分が思っている「普通」は普通じゃないかもしれないこと、

 

そして「普通」を人に強要しないことが、少しラクになる方法なんじゃないかなと思う。

 

 

 

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