お金のこと

私には、人が何にお金をかけているかを観察する悪い習慣がある。

 

とは言っても、中央競馬会の馬主のピンをしているかの「やまとなでしこ」的なことではない。

 

なつかしいな!もう再放送しなくなっちゃったから、知らない人もいるのかな。

 

いや単にね、何にお金をかけているかって、何がすきかってことじゃない?

 

服にお金をかけてる人はおしゃれがすきなんだろうし、

 

食べ物にお金をかけている人は食べることがすきなんだろうね。

 

営業の仕事をしていて印象を良くするために、

 

仕事も美容もすきじゃないけど渋々美容にお金かけてますっていう人もいるだろうけど。

 

大ざっぱに、あくまで傾向としてね。

 

でね、その人の趣味趣向を見ているのもあるけどそれ以上にずっと、

 

お金をかけているものが体から近いかどうかを見ているんだよね。

 

 

 

お金と愛情って、密接に関係しているよね。

 

自分にどれだけお金をかけてくれたかで愛情を量る人がいるけど、お金はわかりやすいもんね。

 

人が誰かのためにできることなんて、突き詰めればお金か時間しかない。

 

愛する気持ちを具現化したものが、お金か時間かその両方になるよねってこと。

 

随分な言い方に聞こえるかもしれないけど、例えば奥さんに花を贈るとき、

 

旦那さんはお花屋さんに寄って時間を使い、財布からお金を出すよね。そういうこと。

 

 

 

お金に関するご相談を頂くことは多いけど、

 

お金とうまく付き合うのが苦手な人は

 

愛情の面でも満たされない何かを抱えているケースが多いと思う。

 

金銭面でこじれていると、愛情面でもこじれている。

 

例えば自分にお金をかけないけど人にはたくさん使っちゃうなら、

 

それはそのまま自分のことを愛していないってことだよね。

 

でもさ、それを逆手に取ることもできるよ。

 

自分のことをすきになるのって、すごく難しい。

 

だから自分にお金をかけるところから始めるんだよ。

 

品物は同じでも、100円で買ったときと1000円で買ったときとでは、

 

1000円で買ったときの方がより「これはいいものだ」って思おうとするよね。

 

お金をかけた自分とお金をかけていない自分とでは、

 

お金をかけた自分の方が自信が持てるような力が働くはず。

 

じゃあ具体的に何にお金をかければいいのかっていうと、

 

ここでさっきの話、「お金をかけているものが体から近いかどうか」よ。

 

体に近いものの方が、自分にお金をかけたなって思うよね。

 

鞄よりは服の方が体に近いし、服よりはエステやマッサージの方が体に近い。

 

そうだよ、私は「その人が自分自身のことをすきかどうか」観察してるんだよ。

 

性格が悪いのか、変態なのか、病気なのか・・・。

 

多分それは、私が自分のことをすきじゃないからそこを気にしてるんだと思う。

 

自己肯定感が強い人とは友達になれなさそうだなって思ってるんだと思う。

 

あっ、そうそう!最近友達ができたんだよ!猫の。猫の!?そう、猫の。

 

天気がいい日に、うちを訪ねてきてくれるようになったの。

 

白い子どもの猫なんだけど、窓越しに一緒にひなたぼっこするんだよ。

 

昨日は親御さんも同伴だった。親御さん、私のことめちゃくちゃ見てたよ。

 

「あんたかい?うちの子が言ってたのは」って感じだった。

 

どうやらお眼鏡に適ったらしく、しばらくしたら眠そうにしていた。

 

でもね、その親子の猫、私のことを自分たちよりも小さな猫だと思ってるっぽい。

 

責任持てないから餌付けしてないんだけど、ネズミとかプレゼントされたらどうしよう。

 

 

 

そうそう、猫じゃなくてお金の話。お金と上手に付き合うのはとても難しい。

 

あるに越したことはないけど、あればあるだけいいかといったらそうじゃない。

 

お金がたくさんあるからこそ、争いや面倒事が起きることもある。

 

でも愛情ついての問題を解決する方が、ずっと難しいよね。

 

お金との付き合い方を、少し振り返ってみるのもいいかも。

 

 

 

普通

私たちは普段、何気なく「普通」という言葉を使う。

 

でも「普通」には、3種類あると思う。

 

 

 

まずひとつが、本来の意味である「一般的な」とか「通常」とか、

 

平均値に入っているもののこと。

 

「普通は──」という言葉を使っている人はみんな、

 

自分が言葉の持つ意味通りのこの「普通」を使っていると思っている。

 

でも言葉通りの「普通」を使えている人は、ほとんどいないと思う。

 

「普通」という言葉を多用する人ほど、「普通」からは遠いんじゃないかな。

 

 

 

ふたつめは、自分にとっての当たり前なことという意味での「普通」。

 

人が言う大体の「普通」は、この「普通」だと思う。

 

人は自分の人生しか体験できないし、主観でしか物事を見ることはできない。

 

「これは普通だな」「いや、これは普通じゃないでしょ」

 

という他人の感覚を体感することは多くの人ができないことらしい。

 

それが私には理解できないんだけど、

 

その話をするとややこしくなるから今日はちょっと横に置いておこうか。

 

で、自分の経験や環境で何が普通かを判断するから、個人的な「普通」でしかないのは当然だ。

 

身近なところでいうと、食べ物が顕著だよね。

 

お肉といえば、西ではまず牛を指すけど、東では「えっ?何のお肉?」って聞くでしょ。

 

特にお菓子は偏るよね。

 

アルフォートが家に常備してある人にとっては、アルフォートが好きとかじゃないんだよね。

 

アルフォートのある生活が当たり前で、「普通」。

 

私はアルフォートを購入したことが一度もないから、その人の「普通」はわからないし。

 

「アイス買ってきて」「うん、わかったー」

 

30分後──。

 

「えっ、ガリガリ君買ってきたの?」「えっ、そうだけど?」

 

「アイスといえば、普通パルムでしょ!」「はあ?普通ガリガリ君でしょ!?」

 

みたいな、個人的な嗜好がつまりにつまった「普通」が見られるアイテムだよね。お菓子は。

 

そういえば最近、友人に「普通に話ができる人がほしいだけなんだけど」って言ったら、

 

遠回しに「その普通は普通じゃないから無理」と言われた。

 

えー、私、普通なんですけど・・・。どこにでもいる何の面白みもない平凡な人間だけどなあ。

 

 

 

最後の「普通」は厄介で、真理とか理みたいな意味での「普通」。

 

正しいことと言い換えてもいいかもしれない。

 

例えば、「高齢の人に席を譲るのは普通でしょ!」というのは、実は「普通」じゃない。

 

みんな知識として高齢の人や妊婦さんに席を譲るものだということは知っているし、

 

多くの人がそうした方がいいとも思っている。

 

でもじゃあ実際に席を譲っている人は、どれだけいるんだろう。

 

私も含めてだけど、何となく見過ごしてしまうことの方が多いんじゃないかな。

 

そういえばそんな歌もあったな。「普通って、理想だ」って。

 

人を思いやるのが人の世で生きる理でそれが正しいんだけど、

 

でもそれは「普通」じゃないんだよね。

 

みんな自分のやりたいようにやって生きているわけだし。

 

 

 

どの「普通」にしても、「普通」を持ち出すと自分も周りの人も苦しくなる。

 

普遍的とか一般的とかという意味での「普通」を知っておくことはすごく大事だけど、

 

自分が思っている「普通」は普通じゃないかもしれないこと、

 

そして「普通」を人に強要しないことが、少しラクになる方法なんじゃないかなと思う。

 

 

 

血液型占い

血液型占いって、信じる?

 

人を1/4に分けるって、すごい雑だなとは思う。

 

でも何となく合ってるところがあるとも思う。

 

 

 

とあるお笑い芸人さんの話。

 

今まで自分はA型だと思っていたんだけど、

 

大人になってから血液検査したら本当はO型だってことがわかったんだって。

 

それから性格が少しずつ、A型からO型っぽい感じに変わっていったらしい。

 

血液型占いに信憑性がある、という訳では無いけど

 

何となく合ってる気がするのは、こういうことなんだよね。

 

「自分はA型なんだ」って意識をする。人からも「あー、A型っぽいね!」と言われる。

 

自分からA型に寄っていく。自分から枠にはまっていく。

 

 

 

人は自分から枠にはまるというのを証明したのが、有名な「スタンフォード監獄実験」だね。

 

「es」という映画にもなっているんだけど、看守役と受刑者役を与えられた人の行動の実験。

 

看守役の人は看守らしい行動を取って、受刑者役の人は受刑者らしい行動を取ったんだって。

 

心理の実験ってこういうえげつないのが多いんだよ。

 

電気ショックを与えるレバーを引くかとか、

 

赤ちゃんのおさるさんを母親から離して代わりに針金で作った母親の模型と一緒にするとか。

 

よりにもよって針金。やめろ!

 

 

 

人の性格は、遺伝子と環境でできている。

 

前者の医学的な原因はあるかどうかはわからない。

 

でも後者の環境的要因によってだったら血液型占いが合ってる部分もあるんじゃないかなと思う。

 

 

 

あとさ、「血液型何型ー?」「何型だと思う?」って会話は単純に楽しいよね。

 

相手が自分をどう思ってるかを知ることができる数少ないツールじゃない?

 

私はそれを名前でやるけど。

 

「ほほう、そのニックネームで呼びますか・・・」とか、

 

「あっ、今この人、下の名前で呼んだ!  こころのシャッターが開いたんだ!フゥ〜!」ってね。

 

何だろうね、性格がねじ曲がってるんだろうね。

 

 

 

年末年始は飲み会も多いだろうし、改めて血液型の話でもしてみたらおもしろいかも。

 

それじゃあ、私の血液型は何型だと思う?

 

 

 

嫁に来ないか

私は先生(人間の方)に会うと、尋ねることがある。

 

「パートナーがほしいのですが・・・」

 

3回に1回くらいは尋ねている気がする。

 

先生はとても適当な人で、私がどうしようもない人だなと思っている男性を

 

「あら、いいじゃない!YOU付き合っちゃいなYO!」

 

と勧めるので改めて話してみるとやっぱりどうしようもない人だったり、

 

「女性も含めて探しなさい」と言われたり・・・。

 

「今の調子ならいい出会いがあるわ!」とお見合いパーティーを勧めるので行ってみたら

 

フリータイムでは私の席だけ誰も男性が付かず、

 

「私の前だけ人がいない、人の波が割れたよう・・・、

 

  モーセみたいだな!ナイスモーセ!(@聖☆おにいさん)」

 

と、モーセと自分を重ねて自分を保とうとしたなんてこともあったなあ。

 

 

 

私の恋愛事情は、そんな感じ。残念な感じ。

 

そりゃあ、わけがわからなくもなるよね。

 

毎日毎日恋愛の相談を受けてああだこうだ言って、自分はどうしようもないんだから。

 

50歳男性会社役員の相談相手が実はIQ180の9歳児でした、みたいなもの。

 

どれだけ問題解決能力があっても、9歳児には相談したくないんじゃないかな。

 

だから本当に申し訳ない気持ちになる。クライアントを騙してる気分というか。

 

杉本彩とか萬田久子みたいじゃなくてごめんね。

 

それに何をどうすればいいのかわかっている上でどうにもなっていないのだから、

 

「私って終わってるな」と絶望的な気分にもなる。

 

 

 

それでも言わずにはいられない、「パートナーがほしいのですが・・・」。

 

懲りもせず今回も尋ねたところ、こんなおそろしい返事が返ってきた。

 

「えっ、人間のですか?」

 

こんなこと言われたら、「逆に『人間の』じゃないパートナーって何!?」って思うじゃない?

 

それがね、あるらしいんだよ。

 

自分のガイドやら何やら、人ではない存在をパートナーにするっていうことが。

 

そういうことがあるのは何となく知っていたけど、まさか自分がそういうことを言われるとは・・・。

 

もしそうなった場合、パートナーはパートナー。人間のパートナーを持つことは叶わない。

 

人から見れば、独り者のかわいそうな人だろう。

 

人から何を言われても誇りを持って生きる強い意志と気高い精神が必要だろう。

 

じゃあ意志と精神がダルンダルンな私には無理だ。

 

 

 

ただね、パートナーはさておき、人間関係全般においてはすでにそんな感じだよね。

 

人間と一緒にいるより、ふしぎなものたちと一緒にいた方がラク。

 

人間は嘘をつき、争い、貶める。

 

それでも私は人間だから、人と関わらなくちゃいけないのかもしれない。

 

 

 

そんな訳で、ちょっと人と関わってみようと思う。

 

引きこもりコミュ障の私が、模索します。

 

がんばるよ!

 

 

 

ヒーリング

突然だけど、「ヒーリング」ってなに?

 

「お前がその質問しちゃダメだろ!」

 

ってつっこみが聞こえてきそうだけど、ずーっと疑問だったんだよ。

 

ヒーリングってみんな言うけど、何を指してヒーリングって言ってるの?

 

嫌味じゃなくてね、本当にわからないんだ。

 

だってヒーリングって一言で言っても、

 

マッサージ、エステ、アロマ、カウンセリング、音楽、ヒプノセラピー、

 

心霊療法、レイキ、波動やオーラの調整、とか色々あるじゃない?

 

でも電話カウンセリング中にヒーリングができるか聞かれてるなら、

 

遠隔ヒーリング、それもレイキを指すのかな?

 

 

 

ヒーリングという言葉に私が困惑しているのは、ヒーリングが特別なものだと思われているからだ。

 

例えば、雨はヒーリングだよね。

 

余計なものが流れるし、水の音が心地いいし、空間が雨で遮断されるから

 

内にこもる作業をして自分を見つめ直すよね。雨は浄化だから。

 

 

 

それでも時には、特別な何かが必要なこともある。

 

クライアントさんがすごく落ち込んでいたり

 

疲れて負のものしか見えていなかったりするとき、

 

ちょっとした魔法をこっそりかけている。

 

カウンセリングが終わった後に

 

体があったかくなったり眠くなったりするとか気持ちが落ち着いたと言われるので、

 

一応届いてるんだろうなー、と思う。

 

ただレイキじゃなくて私が勝手に「こんな方法はどうだろう?」ってやってるから、

 

それをヒーリングと呼べるのかどうかわからない。

 

 

 

それを先生(人間)に相談したら、「『(ヒーリング)できます』でいいですよ」

 

と言われた。えっ、いいんだ・・・?

 

個人的にはヒーリング云々より座敷童効果の方が強いから抵抗あるけど、

 

あんでるせんのマスターも「癒しのオーラ出てるよ」って言ってたから

 

まあそれでいいか!

 

じゃあ「どんなヒーリングですか?」って聞かれたら何て答えればいいのかな?

 

「『魂のヒーリングです』でいいです」

 

えっ、「魂の」でいいんだ・・・?すごい抽象的だな!それは仕事と呼べるの?

 

まあいいや!何でもいいや!

 

 

 

ヒーリングと言われても、やっぱりよくわからない。

 

それでも沈んだ気分を少し軽くすることはできるかもしれない。

 

そんな感じだなー、うん。

 

 

 

警策

一年くらい前からだろうか。

 

私への評価が少しずつ変わってきたように思う。

 

「手早い」とか、「厳しい」とかだ。

 

以前はもう少し気を使っていたとも言えるし、

 

別の言い方をすればクライアントをつけたくておもねるところがあったとも言えるだろう。

 

長い間、私の友人をしている物好きな人が

 

「他人にも自分にも厳しい」「最近は自然体な感じがする」

 

と言っていることから、評価通り確かに厳しく、そしてそれが私の素地なのだと思う。

 

では評価が厳しいから優しくするかというと、まあ許容範囲なんじゃないかなと思う。

 

私のことが嫌なら仕事は来ないだろうから改善しなくてはならないけれど、

 

依頼があるうちはこれでいいような気がする。

 

 

 

私はこれをカウンセリング中よく口にするが、

 

好きという感情があるかどうかと大切にできるかどうかは全く別のことだ。

 

そして大切にしてくれているかどうかと

 

耳障りのいいことを言ってくれるかどうかも全く別のことだ。

 

たとえ気まぐれだとしても数多くの人の中から私に仕事の依頼をしてくれた人は大切にしたい。

 

そりゃあ嫌われることは怖いけど、嫌われるとか怖いとかなんてどうだっていいよね。

 

問題の解決、精神の安定の前では。

 

クライアントとの関係が終わって私の仕事がなくなってしまったとしても、

 

だらだらと甘言を続けていつまでたっても問題が解決しないよりはずっとましだ。

 

だから必要とあれば、警策を受けてもらう。

 

(警策:きょうさく  坐禅のときにバチーンって叩くアレ)

 

それで「痛いのは嫌です」って言われると、手の施しようがないんだよね。

 

甘言を聞いていたいなら、私では役に立てないよ。

 

あと「痛い」っていっても、真理だからね。本当のことを知るには、リスクが伴う。

 

でも知りたかったけど嫌な結果だったから

 

それを知らせた私のことを嫌な人だと思うのは、人として自然な心の動きだよね。

 

だからそれも別に構わない。

 

何にしても、自分のことを大切にしてほしいんだ。

 

自分を大切にしていないと、「この人はこういうふうに扱っていいんだな」って思われて、

 

人からも大切にされないから。

 

 

 

私のことはどれだけ嫌いでもいいよ。ただ、痛いことから逃げないでほしい。

 

それで自分としっかり向き合って、自分を大切にして人からも大切にされてほしい。

 

それがカウンセラーである私からクライアントであるみんなへの

 

たったひとつのお願い。

 

 

 

ごめんね

「先」に「生きる」で「先生」とは、よくできたものだ。

 

こんなふうになりたいと思われるような生き方をし、慕われ、尊敬されるから「先生」なのだろう。

 

 

 

「愛され上手になるレッスン」だとか「幸せになる!12の引き寄せの法則」だとか

 

そういう感じのことを提唱している人たちは、

 

きっと目黒あたりで優雅にランチをしているんだろうな。

 

子供のお友達やママ友を集めてハロウィンパーティーをするんだろうな。

 

そしてその旨をブログにアップするんだろうな。

 

 

 

私はね、ごはん作るのめんどうくさかったから、

 

白いごはんにケチャップをかけて食べるという

 

一人暮らしの男子大学生みたいな女子力マイナス6億のお昼ごはんだったよ。

 

あと毎年ハロウィンは近所の子供たちのためにお菓子を買っておくんだけど

 

現代の日本でお菓子ほしさに見知らぬ我が家を訪ねてくる子供などいる訳もなく、

 

仕方なしに買っておいたお菓子を翌日から消費するっていう珍妙な習慣があるよ。

 

 

 

・・・・・・。こうして文章にしてみると、酷いね。

 

憧れないし、間違ってもこうはなりたくないよね。

 

でも、私みたいな人間がひとりくらいいてもいいんじゃないかなって思うの。

 

はつらつとしていて幸せそうな人に相談するのは

 

気後れするって人もいるんじゃないかな。

 

まあ「幸せそうな人に導いてもらいたいです!」って注文をつけられたところで

 

そんなふうには生きられないんだけどね。

 

「こんなふうでごめんね!別の人に話してね!」としか言えないしね。

 

正直私は、「それとこれとは別」って考え方だし。

 

幸せを感じること、

 

幸せな状態にあること、

 

幸せそうに見えること、

 

人を幸せに導くこと。

 

これらは独立していて全て別物だし、

 

人を幸せにできると思っていることがそもそもおごりだと思うよ。

 

カウンセリングには限界があるんだから。

 

 

 

そうは言っても、素敵な人に憧れて近付きたいと思うから努力するんだよね。

 

向上心を沸き立たせる存在という意味で嫌味なく尊敬している。

 

ただ、私には無理だな。

 

そんな私にできることといったら、

 

「こうはなりたくないな、じゃあこうならないためにはどうすればいい?」

 

という反面教師くらい。

 

卑屈な毒おとめの私ができるのはそれくらい。

 

あと、気分が落ちてる人でも気後れしないで話せるよ。

 

 

 

こんなふうでごめんね。私はこういうふうにしか生きられないんだ。

 

それでもよければ、話を聞かせてね。

 

 

 

対面日和

今月に入ってから、何故か対面カウンセリングの依頼が多い。

 

電話も含めて仕事の依頼が増えてる訳じゃなくて、不思議と対面だけ増えている。

 

ちょっと涼しくなったから、外に出てもいいかなと思ったの?

 

それとも、たまたま?

 

何かどっちも違う気がする。

 

しかもね、何度か依頼があった方からじゃなくて、みんな初めてのクライアントさん。

 

紹介じゃなくて、「何となくこの人かな」ってパッと決めて来てもらってるみたい。

 

すごい冒険家だね!勇気凛々じゃないか!

 

その行動力があれば、カウンセリングいらないよ!

 

ちなみに、神楽坂の個室はこんな感じ。

 

 

 

 

 

 

シンプルで、空気もゆったりしている。

 

そしてホテルの方はこんな感じ。

 

 

 

 

 

 

こんな写真しかなかった・・・。この向かいにあるラウンジでやってる。

 

天井が高くて開放感があって、紅茶がおいしい。

 

どっちにもいい面があるよ。

 

 

 

そういえば、対面カウンセリングのときに使うペン。

 

 

 

 

 

 

このペン、実は対面カウンセリングを始めたときに購入したんだけど、

 

一度も買い換えたことがないんだよね。

 

永遠にインクが出る魔法のペンなんだろうか。

 

まあ単にあんまり使ってないからだよね。氏名と生年月日書いてもらうだけだし。

 

でもさすがにそろそろ新調したいなと思ってたら、何かいいの見つけたよ。

 

 

 

 

 

 

あっ、がっつり値段が出ちゃってるね。

 

黒いいなーと思ったんだけど、数少ない仕事道具は高価な方が縁起いいでしょ。

 

 

 

 

 

 

ってことで、金にしたよ。

 

そして何故かもう1本ネットで購入したペン。

 

何でいくつも買うのよ、って思うよね。でも一番そう思ってるのは、私だからね。

 

はい、もう1本のペン。

 

 

 

 

 

 

ん?ヒゲ?そう、ヒゲ!

 

 

 

 

 

 

「愉快な」って自分でハードル上げちゃってるね。

 

まず普段がこう。

 

 

 

 

 

 

それをヒゲモードにすると、こう!

 

 

 

 

 

 

ちょっとわかりにくいので、今回はあの子に協力してもらいました。

 

ます、普段がこう。

 

 

 

 

 

 

それがヒゲをたくわえると、こう。

 

 

 

 

 

 

ものの2秒で英国紳士に!フゥ〜!ジェントル〜ゥ!

 

 

 

対面カウンセリング中にメモをとるために、ペンを持ってきてる人もいるのね。

 

そういう人は自分のペンで氏名を書いている。

 

「自分のペンで書いてもいいですか?」って聞かれて、私も「はい」って答えてる。

 

でも実は私が用意したペンをさわってもらってその後にそのペンを私がさわって、

 

残留思念を読んだりチューニングしたりするのに使ってるんだよ。

 

メモをさわさわしてるのもそういうことだよ。

 

何言ってるかわからないし、我ながら気持ち悪いね!

 

でも電話より対面の方が調子が出るのは、そういうことなんだ。

 

 

 

まあ遠方のクライアントさんは対面は難しいし、どっちがどうってことはないからね。

 

どちらでもご都合に合わせてどうぞ。

 

LINEからもご予約を受付しております。

 

IDは、「bousou-rabbit」です。

 

「房総」と「暴走」がかかっていて、千葉のヤンキー感が出ているね。

 

全然ヤンキーじゃないのにね。

 

この垢抜けない感じが、千葉っぽくてよい。

 

お気軽にどうぞ。

 

 

 

宝石

タテタカコの「宝石」という曲を聴いている。

 

「誰も寄せ付けられない 異臭を放った宝石」

 

という歌詞に、自分の中で何か共感するものがある。

 

 

 

最近の私はとても気分が落ちていて、自分とどう向き合っていいのかわからない。

 

いや、それはずっとそうだったのかもしれない。

 

ただ少し前に体調を崩してしまい、しばらく仕事を休んでいた。

 

何も考えないようにただただ仕事をして見ないようにしていただけで、

 

自分が本当のところはどう思っているのかよくわからないのはずっとそうなんだろう。

 

 

 

こんなことに意味はないよな。

 

こんなものに意味はない。

 

カウンセリングに意味はないし、才能にも意味はない。

 

私がしていることや私自身は、そんなものだ。

 

 

 

そう言うと、こころやさしい人は「そんなことないです!」って言うんだろうな。

 

真っ当な人なら「嫌ならやめればいいのでは?」って言うのかな。

 

 

 

昔の先生は、こんなことを言っていた。

 

「世界で活躍するデザイナーやアーティストよりずっと優れた感性を持っているのに、

 

  あなたはどうしてそんな自分を恥じているの?」

 

どうして恥じているのかわからないのは、先生の性別が男だったからだろう。

 

女性は無個性な方がずっと生きやすい。

 

私は一応女だからね、そんな得体の知れないものは御免蒙るよ。

 

今の先生も、同じようなことを言う。

 

「人がほしくて仕方のないものを持っているから、選ばれた誇りを持ちましょう」

 

先生の言う通りもし私が本当に何かに選ばれたのだとしたら、

 

それはひとつだけ入った外れくじに、だ。

 

私は人がうらやむものを持っているかもしれないが、

 

人が持っているものを何ひとつ持っていない。

 

私には、何もない。

 

 

 

あれだな、まあ疲れてるんだろうな。

 

批判に、嘘に、悩みに、人間そのものに。

 

次に生まれるなら、願わくは宝石ではない何かに。

 

 

 

本が好きそうに見えるのか、本を読んでいること前提で話をされることがある。

 

「いや、全然読まないよ」と言うと、大層驚かれる。

 

まあパッと見も実際中身も内向的なので、

 

本読んでないとつじつまが合わないもんなあ。

 

でも昔、引きこもりニートだったときに、たくさん本を読んでいたことはある。

 

児童文学からビジネス書まで、目にとまったものは全て図書館で借りて読んだ。

 

少なくとも1日3冊は読んでたと思う。

 

今ではほとんど本を読まなくなったが、文章を読むことは今でも好きだ。

 

 

 

でもそれ以上に、文章を書くことが好きだ。

 

小・中・高と、先生に「将来は文章を書くのがいいですよ」と言われた。

 

うん、いいねえ。

 

今何か具体的な話がある訳ではないんだけど、最近人から言われたんだよね。

 

何か書いたらきっと面白いよ、って。

 

 

 

私にはどんなものが書けるかな。

 

どんな内容だったらみんなに読んでもらえるかな。

 

いつか本を出してみたいな。

 

それがみんなのところに届いたらいいなと思う。