お金のこと

私には、人が何にお金をかけているかを観察する悪い習慣がある。

 

とは言っても、中央競馬会の馬主のピンをしているかの「やまとなでしこ」的なことではない。

 

なつかしいな!もう再放送しなくなっちゃったから、知らない人もいるのかな。

 

いや単にね、何にお金をかけているかって、何がすきかってことじゃない?

 

服にお金をかけてる人はおしゃれがすきなんだろうし、

 

食べ物にお金をかけている人は食べることがすきなんだろうね。

 

営業の仕事をしていて印象を良くするために、

 

仕事も美容もすきじゃないけど渋々美容にお金かけてますっていう人もいるだろうけど。

 

大ざっぱに、あくまで傾向としてね。

 

でね、その人の趣味趣向を見ているのもあるけどそれ以上にずっと、

 

お金をかけているものが体から近いかどうかを見ているんだよね。

 

 

 

お金と愛情って、密接に関係しているよね。

 

自分にどれだけお金をかけてくれたかで愛情を量る人がいるけど、お金はわかりやすいもんね。

 

人が誰かのためにできることなんて、突き詰めればお金か時間しかない。

 

愛する気持ちを具現化したものが、お金か時間かその両方になるよねってこと。

 

随分な言い方に聞こえるかもしれないけど、例えば奥さんに花を贈るとき、

 

旦那さんはお花屋さんに寄って時間を使い、財布からお金を出すよね。そういうこと。

 

 

 

お金に関するご相談を頂くことは多いけど、

 

お金とうまく付き合うのが苦手な人は

 

愛情の面でも満たされない何かを抱えているケースが多いと思う。

 

金銭面でこじれていると、愛情面でもこじれている。

 

例えば自分にお金をかけないけど人にはたくさん使っちゃうなら、

 

それはそのまま自分のことを愛していないってことだよね。

 

でもさ、それを逆手に取ることもできるよ。

 

自分のことをすきになるのって、すごく難しい。

 

だから自分にお金をかけるところから始めるんだよ。

 

品物は同じでも、100円で買ったときと1000円で買ったときとでは、

 

1000円で買ったときの方がより「これはいいものだ」って思おうとするよね。

 

お金をかけた自分とお金をかけていない自分とでは、

 

お金をかけた自分の方が自信が持てるような力が働くはず。

 

じゃあ具体的に何にお金をかければいいのかっていうと、

 

ここでさっきの話、「お金をかけているものが体から近いかどうか」よ。

 

体に近いものの方が、自分にお金をかけたなって思うよね。

 

鞄よりは服の方が体に近いし、服よりはエステやマッサージの方が体に近い。

 

そうだよ、私は「その人が自分自身のことをすきかどうか」観察してるんだよ。

 

性格が悪いのか、変態なのか、病気なのか・・・。

 

多分それは、私が自分のことをすきじゃないからそこを気にしてるんだと思う。

 

自己肯定感が強い人とは友達になれなさそうだなって思ってるんだと思う。

 

あっ、そうそう!最近友達ができたんだよ!猫の。猫の!?そう、猫の。

 

天気がいい日に、うちを訪ねてきてくれるようになったの。

 

白い子どもの猫なんだけど、窓越しに一緒にひなたぼっこするんだよ。

 

昨日は親御さんも同伴だった。親御さん、私のことめちゃくちゃ見てたよ。

 

「あんたかい?うちの子が言ってたのは」って感じだった。

 

どうやらお眼鏡に適ったらしく、しばらくしたら眠そうにしていた。

 

でもね、その親子の猫、私のことを自分たちよりも小さな猫だと思ってるっぽい。

 

責任持てないから餌付けしてないんだけど、ネズミとかプレゼントされたらどうしよう。

 

 

 

そうそう、猫じゃなくてお金の話。お金と上手に付き合うのはとても難しい。

 

あるに越したことはないけど、あればあるだけいいかといったらそうじゃない。

 

お金がたくさんあるからこそ、争いや面倒事が起きることもある。

 

でも愛情ついての問題を解決する方が、ずっと難しいよね。

 

お金との付き合い方を、少し振り返ってみるのもいいかも。

 

 

 

謹賀新年

明けましておめでとうございます。年末年始はいかがお過ごしでしょうか。

 

私はゆるっと仕事をしながら、ゆるっと過ごしています。

 

あとはおもち食べて夜中はAbemaTVでフルハウス三昧。フルハウス観て泣いてる。

 

自分でも「えっ、フルハウスで?大丈夫?」って思うけど。

 

それから持病の横隔膜ヘルニアが悪化して、うまく呼吸ができないしうまく寝られない。

 

以前いくつか病院に行ったけどどうしようもないらしいので、なるようになるしかない。

 

苦しいから涅槃像みたいな格好じゃないと横になれないんだけど、

 

まさに涅槃とか入滅という単語が頭をよぎる。

 

暗い部屋で、今までの人生を振り返る。私の人生の意味って、何だったんだろう?

 

うおおおおおお!新年早々、何で人生を振り返ってるんだよ!縁起でもない!

 

具合が悪いときに限って生きている意味とか考えちゃうけど、

 

健康なときにだって答えが出ない壮大な問題を何で具合が悪いときに考えるんだよ!

 

気圧とか寒さとかで冬は調子悪くなるけど、必ず春は来るから。

 

それまでの辛抱だよ。がんばって!

 

 

 

ちなみにスピリチュアル的な観点からすると、人が生きる意味は「体験すること」。

 

でもね、人は生きている以上、自動的に何かを体験する。

 

ぼーっとしているときだって、ぼーっとしていることを体験している。

 

だから生きる意味って、生きることそのものってことなんだよね。

 

でも多くの人は、生きる目的とか生きていけるだけの理由のことを、

 

「生きる意味とは何か」って言っているんだろうなあ。

 

幸か不幸か、人生には目的や理由は存在しない。何をしても自由。

 

生をまっとうして自分の人生を精一杯生きることが、生きる意味なんだよ。

 

そう、たとえ横隔膜ヘルニアだったとしてもだ。

 

 

 

縁起のいい話もある。

 

大晦日から元旦に日付が変わる頃、私は変な姿勢ながらもすでにうとうとしていた。

 

そしたら急に、鳥のさえずりが聞こえてきたんだよね。

 

これは酉年だからじゃなくて、新しい年が来たよっていうお知らせ。

 

鳥は、メッセンジャーだから。にわとりは朝を告げ、伝書鳩は手紙を運ぶ。

 

ノアの方舟に洪水が鎮まったのを知らせたのも鳥だしね。

 

ちなみにこのノアさん、泥酔して全裸のところを自分の息子に目撃されたんだけど、

 

それを兄弟?に話したからって呪っちゃったんだよ。すごいよね。

 

あとは大晦日の日に、誰からかはわからないけど銀の砂をもらった。

 

銀の砂っていっても、実物があるわけじゃなくてあくまで目に見えないものなんだけど。

 

きれいだけど、何に使うんだろう?用途不明。先生に聞いてみよう。

 

先生で思い出したけど、やっとこさパワーストーンのブレスレット頼んだんだ!

 

今度先生(人間)に会うときに受け取るんだよ。全部おまかせで作ってもらってるの。

 

会うべき人に出会えるように、あとはよりひらめくように、石を選んでくれるそう。

 

「ゴリゴリの天眼石を・・・」って頼んだら、

 

「せっかくだからかわいいのにしましょうね」ってやんわり断られた。

 

ゴリゴリの天眼石のブレスレットを別のところで作るかどうかは、検討中。

 

ブレスレット受け取ったら、写真撮ってここに載せるね。

 

それから、石井ゆかりさんの年報がアップされたね。すごくためになるよ。

 

まだ読んでない人は、「筋トレ」って検索すると出てくるよ。おすすめ!

 

 

 

そんな感じかなー。みんな色々あると思うけど、年は明けたし春は来るよ。

 

一緒にがんばろうね。今年もよろしくね。

 

 

 

年末年始のお知らせ

例年通り、年末年始もやってるよ!

 

まあ年末は忙しいし年始はめでたいから相談も何もないだろうけど、一応お知らせね。

 

コンビニ行ったりねこをなでに行ったり本屋さんに行ったり、

 

お正月で人がいない道路を「なんてこった、生存者は俺だけなのか・・・?」と

 

人類が滅亡してしまったけど自分だけが生き残っている洋画みたいな設定で

 

妄想しながら原付で街を走ったりするくらいはあるだろうけど、基本的に家にいます。

 

昨日おろしたジャージのひもがピンク色なんだけど、

 

たったそれだけで「今日の私は洒落てるな」と思うくらい家にいます。

 

外出なよ!ていうか、ジャージで仕事するなよ!

 

でもね、思うんだよ。教会にはドレスコードあるじゃない?

 

神の前では失礼のないように、もしくは敬意を払って、ってことなんだろうけど、

 

神は教会にだけ降りるのではないし、祈るのは教会だけではないよ。

 

個々の家々にも、ひとりひとりにも、道端の枯れた花にも神は宿る。

 

えりの付いた服を着て教会にいる間だけではなく、

 

ジャージで仕事をしているときも、私たちは常に神の前にいる。

 

「教会では相応しい格好を」って言う人は、お風呂出た直後もえり付きのシャツを着るがよい。

 

あらやだ、着替えるのが面倒故に毒出ちゃった!

 

でも仕事をするときにちゃんとした格好をした方がいいのは、確かにそう。ほんとそう。

 

神事のドレスコードなんて知ったこっちゃないけど、社会的にはドレスコードあるよね。

 

でも外に出る訳じゃないのに着替えるのって、何か逆に申し訳ない気がするんだよ。

 

在宅勤務の人って、そこらへんどうしてるんだろう。

 

でも一日中ルームウェア着てる人って聞いたことないし・・・。

 

いや、ちょっと待って。これ何の話?私のジャージの話なんてどうでもよくない?

 

ちゃんとお知らせしてるの、はじめの1行だけじゃない?でも他に言うことなくない?

 

はい、もうじゃあこう!

 

 

 

 

 

 

 

 

大晦日も元旦も、休まず営業!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これでいいよ、これで。近所のスーパーの安売り感が出ていて、とてもよい。

 

はい、以上お知らせでした。

 

 

 

普通

私たちは普段、何気なく「普通」という言葉を使う。

 

でも「普通」には、3種類あると思う。

 

 

 

まずひとつが、本来の意味である「一般的な」とか「通常」とか、

 

平均値に入っているもののこと。

 

「普通は──」という言葉を使っている人はみんな、

 

自分が言葉の持つ意味通りのこの「普通」を使っていると思っている。

 

でも言葉通りの「普通」を使えている人は、ほとんどいないと思う。

 

「普通」という言葉を多用する人ほど、「普通」からは遠いんじゃないかな。

 

 

 

ふたつめは、自分にとっての当たり前なことという意味での「普通」。

 

人が言う大体の「普通」は、この「普通」だと思う。

 

人は自分の人生しか体験できないし、主観でしか物事を見ることはできない。

 

「これは普通だな」「いや、これは普通じゃないでしょ」

 

という他人の感覚を体感することは多くの人ができないことらしい。

 

それが私には理解できないんだけど、

 

その話をするとややこしくなるから今日はちょっと横に置いておこうか。

 

で、自分の経験や環境で何が普通かを判断するから、個人的な「普通」でしかないのは当然だ。

 

身近なところでいうと、食べ物が顕著だよね。

 

お肉といえば、西ではまず牛を指すけど、東では「えっ?何のお肉?」って聞くでしょ。

 

特にお菓子は偏るよね。

 

アルフォートが家に常備してある人にとっては、アルフォートが好きとかじゃないんだよね。

 

アルフォートのある生活が当たり前で、「普通」。

 

私はアルフォートを購入したことが一度もないから、その人の「普通」はわからないし。

 

「アイス買ってきて」「うん、わかったー」

 

30分後──。

 

「えっ、ガリガリ君買ってきたの?」「えっ、そうだけど?」

 

「アイスといえば、普通パルムでしょ!」「はあ?普通ガリガリ君でしょ!?」

 

みたいな、個人的な嗜好がつまりにつまった「普通」が見られるアイテムだよね。お菓子は。

 

そういえば最近、友人に「普通に話ができる人がほしいだけなんだけど」って言ったら、

 

遠回しに「その普通は普通じゃないから無理」と言われた。

 

えー、私、普通なんですけど・・・。どこにでもいる何の面白みもない平凡な人間だけどなあ。

 

 

 

最後の「普通」は厄介で、真理とか理みたいな意味での「普通」。

 

正しいことと言い換えてもいいかもしれない。

 

例えば、「高齢の人に席を譲るのは普通でしょ!」というのは、実は「普通」じゃない。

 

みんな知識として高齢の人や妊婦さんに席を譲るものだということは知っているし、

 

多くの人がそうした方がいいとも思っている。

 

でもじゃあ実際に席を譲っている人は、どれだけいるんだろう。

 

私も含めてだけど、何となく見過ごしてしまうことの方が多いんじゃないかな。

 

そういえばそんな歌もあったな。「普通って、理想だ」って。

 

人を思いやるのが人の世で生きる理でそれが正しいんだけど、

 

でもそれは「普通」じゃないんだよね。

 

みんな自分のやりたいようにやって生きているわけだし。

 

 

 

どの「普通」にしても、「普通」を持ち出すと自分も周りの人も苦しくなる。

 

普遍的とか一般的とかという意味での「普通」を知っておくことはすごく大事だけど、

 

自分が思っている「普通」は普通じゃないかもしれないこと、

 

そして「普通」を人に強要しないことが、少しラクになる方法なんじゃないかなと思う。

 

 

 

今年のクリスマス

クリスマスはいかがお過ごしだろうか。

 

私は毎年恒例の喘息が出てしまい、数日前から家で大人しく過ごしている。

 

あれ?いつもと変わらない!

 

喘息の期間限定でではなく人生単位で引きこもりなので、何も問題はない。

 

あっ、でもいとこ大中小のうち、いとこ小(2歳)が家に来たわ。

 

ぽぽちゃんっていうお人形さんの一回り小さい、ちいぽぽちゃんをプレゼントした。

 

2歳児が赤ちゃんのお人形さんの面倒を見るっていう、珍しい現象を見ることができた。

 

自力で服を着られないんだから服を着せることなんてできないんだけど、

 

それでも一生懸命服を着せようとするいとこ小。

 

祖母が「あらー、お姉さんねえ」と言うと首を横に振った。どうやら母親設定らしい。

 

甲斐甲斐しく世話を焼き、終始キリッとした顔をしていた。

 

「2歳の母」というドラマを制作するときは、是非うちのいとこ小を起用して頂きたい。

 

いい演技するぜ・・・?

 

いとこ中(小1)はクリスマスプレゼント、

 

いとこ大(中二)にはお年玉を用意してあるからたのしみだ。

 

 

 

あとは、年賀状を書いて出しに行ったよ。

 

年賀状って、明るく前向きでめでたいことを書くよね?

 

言葉は出てくるんだけど、全部年賀状にはふさわしくないものなんだよ。

 

期せずして、いかに自分がうつうつとしていて毒々しい人間なのかを

 

見つめることになってしまった。

 

どうにかこうにか年賀状を書いて出しに行ったついでに、お買い物に行った。

 

お買い物といっても、クリスマス的なショッピング的なものじゃない。歯みがき粉。

 

ドラッグストアじゃなくてスーパーでいいやと思って、近所のスーパーに寄ってきた。

 

それがね、クリスマスの商品が売ってて、すごくテンションがあがったんだよ。

 

まず、入ってすぐに置いてあったもの。

 

 

 

 

 

 

謎野菜。

 

 

 

 

 

 

多分、青果担当者がクリスマスツリーと間違えて仕入れたんだと思う。

 

ロマネスコといえば、フィボナッチ数列だよね。

 

螺旋の数がフィボナッチ数列の数でできてるので、セットで語られることが多い。

 

フィボナッチ数列とは、前の2つの数字を足すと次の数字になる数列。

 

1、1、2、3、5、8、13、21、34・・・。

 

自然界ではフィボナッチ数列が多く見られるので、「神の数列」といわれている。

 

ああ、実に美しい・・・(恍惚)。興奮して思わずバシャバシャ写真を撮ってしまった。

 

あとはロブスターが売っていたり鶏が丸々売っていたり、

 

田舎のスーパーの商品が華やかになっていて企業努力を感じた。

 

 

 

ちょっと外出したくらいの、ケーキもない地味なクリスマスだった。

 

いつもと同じクリスマスだったってこと。

 

でもね、みんなのこと考えるよ。

 

あのこは元気かな?どんなクリスマスを過ごしてるかな?歯みがき粉あるかな?って。

 

この上なく最高に幸せにっていうのは難しいかもしれないけど、

 

せめて心穏やかに過ごせますように。

 

 

 

欲望

腕時計が壊れてしまったので、古いものに電池を入れて使っていた。

 

新しいものにしたかったんだけど、長らく尻込みしていたんだよね。

 

それがね、後輩の男の子のがいわゆる合コンというものに行ったんだって。

 

合コンが始まるや否や、相手の女の子たちに

 

「はーい、それじゃあ男の子は今から腕時計を外して下さーい!」

 

って言われて、勝手に腕から外されて他の男の子の腕時計と並べられたんだって。

 

しかも並べられた挙句、値段も言わされたんだって。

 

えげつない!ある種の女の人のそういうところ、ほんとえげつないよ!

 

手口がカツアゲと一緒だよ!加えて下衆だから、カツアゲよりタチが悪いよ!

 

その話を聞いてから「腕時計とはなんて恐ろしいものなんだろう」って、

 

どんな腕時計買えばいいのかわかんなくなったんだよね。

 

あまりの恐怖に腕時計のこと考え過ぎて、腕時計がゲシュタルト崩壊起こしてた。

 

その話を聞いてから今までは腕時計が壊れたら家にあるものをしてたんだけど、

 

腕時計のストックが底をついて、10年以上前に買ったものを使っていた。

 

さすがにどうなんだろうと思ってやっと先日新調したんだけど、

 

買った後に改めて商品説明を見ると、「女海賊をモチーフに」って書かれてる!

 

女海賊!?何その思春期くさいコンセプト!

 

そんな思春期が爆発してる代物だということは、絶対に知られてはならない。

 

まあ私が言わなければいいので、何でもありませんよという顔をして使うことにした。

 

ネットで買ったので、近所の時計屋さんにバンドの長さを調整しに行った。

 

時間がかかるからお待ちくださいと渡された番号札が、コレ。

 

 

 

 

 

 

まさかの煩悩の数。

 

朝一番に行って、何で108番なのよ。思春期が爆発してることへの戒めか?

 

何にしても、意味深だなあ。

 

 

 

腕時計、それは欲望の象徴。

 

 

 

血液型占い

血液型占いって、信じる?

 

人を1/4に分けるって、すごい雑だなとは思う。

 

でも何となく合ってるところがあるとも思う。

 

 

 

とあるお笑い芸人さんの話。

 

今まで自分はA型だと思っていたんだけど、

 

大人になってから血液検査したら本当はO型だってことがわかったんだって。

 

それから性格が少しずつ、A型からO型っぽい感じに変わっていったらしい。

 

血液型占いに信憑性がある、という訳では無いけど

 

何となく合ってる気がするのは、こういうことなんだよね。

 

「自分はA型なんだ」って意識をする。人からも「あー、A型っぽいね!」と言われる。

 

自分からA型に寄っていく。自分から枠にはまっていく。

 

 

 

人は自分から枠にはまるというのを証明したのが、有名な「スタンフォード監獄実験」だね。

 

「es」という映画にもなっているんだけど、看守役と受刑者役を与えられた人の行動の実験。

 

看守役の人は看守らしい行動を取って、受刑者役の人は受刑者らしい行動を取ったんだって。

 

心理の実験ってこういうえげつないのが多いんだよ。

 

電気ショックを与えるレバーを引くかとか、

 

赤ちゃんのおさるさんを母親から離して代わりに針金で作った母親の模型と一緒にするとか。

 

よりにもよって針金。やめろ!

 

 

 

人の性格は、遺伝子と環境でできている。

 

前者の医学的な原因はあるかどうかはわからない。

 

でも後者の環境的要因によってだったら血液型占いが合ってる部分もあるんじゃないかなと思う。

 

 

 

あとさ、「血液型何型ー?」「何型だと思う?」って会話は単純に楽しいよね。

 

相手が自分をどう思ってるかを知ることができる数少ないツールじゃない?

 

私はそれを名前でやるけど。

 

「ほほう、そのニックネームで呼びますか・・・」とか、

 

「あっ、今この人、下の名前で呼んだ!  こころのシャッターが開いたんだ!フゥ〜!」ってね。

 

何だろうね、性格がねじ曲がってるんだろうね。

 

 

 

年末年始は飲み会も多いだろうし、改めて血液型の話でもしてみたらおもしろいかも。

 

それじゃあ、私の血液型は何型だと思う?

 

 

 

プレゼントの選び方

えっ、今年のクリスマスは3連休なの?土日?

 

じゃあクリスマス当日にお祝いする人が多いのかな。

 

アドベントより1か月も前からクリスマスのことを言い出す日本には

 

クリスチャンが少ないことの皮肉よ。

 

クリスマスって、女の子がかわいいのがいいよね。

 

一生懸命オシャレしたんだろうなあって思うよ。

 

って、何目線なんだろうね。

 

私は全身黒いよ。年間を通して。舞台の演出家か!

 

陰鬱な雰囲気をかもし出す手助けをしている。


そしてそんな陰鬱でクリスマスに何の予定もない私が

 

プレゼントを選ぶことだけは得意なことの皮肉よ。

 

 

 

プレゼントとは、センスだ。

 

センスと言っても、オシャレかどうかじゃない。

 

これは、少し前の話。

 

担当の美容師さんに髪をカットしてもらいながら、

 

「自分の髪って自分で切るんですか?」って聞いたの。

 

そしたら、こんなことを言っていた。

 

「自分では切らないよ、スタッフの子に切ってもらう。

 

  でも細かいこと言うから、切る方は嫌だろうなあ。」

 

私はそれを聞いて、

 

「センスってホスピタリティでしかないなんだなあ」

 

って思ったんだよね。

 

物に、できごとに、人に、敏感かどうか。

 

相手が、世間が、時代が、何を求めているかを察する。

 

それがセンスなんだと思う。

 

 

 

じゃあ実際にはどうやってプレゼントを選べばいいのか。

 

それはプレゼントを贈る相手のことを考えること。

 

ただただ、思い出して考えてみる。

 

その常態のまま、ただお店の中を歩く。

 

これはネットじゃなくて、足でお店を回るのがいい。

 

何でも揃ってる百貨店やショッピングモールがおすすめ。

 

何がいいかなってプレゼントを探すんじゃなくて、その人のことを思い出しながら歩くだけ。

 

そうやって歩いていると、「これだ!」と思うものが突然向こうから目に飛び込んでくる。

 

これはプレゼントを贈る人のことで頭が一色になって、

 

余計な情報が遮断されて頭の中とシンクロする情報だけが入ってくるんだと思う。

 

 

 

時間がある人は、今年は見当をつけないまま

 

ひらめきでプレゼントを選ぶのもいいと思うよ。

 

 

 

私が思うこと

カウンセリング中クライアントさんに、相談の内容をどう思うか聞かれることがある。

 

話の内容がくだらないですよね、とかこんな私ってどうしようもないですよね、とか。

 

そんなことないよ。そんなことない。

 

「視野が狭くなってるのかな」と思うことはあるけど、

 

「くだらないことで悩んでるよこの人」とは思わないなあ。

 

例えば「どれだけストレスを感じるか数字で表してください」

 

ってストレスチェックをするとするじゃない?

 

老後への不安が30で晩ごはんの献立を考えることが90なら、

 

食卓に問題となる何かがありそうだよね。

 

恋人に別れを告げられた人、夏休みの宿題が終わらない小学生。

 

誰かにとっては「よくあること」で片付けられても、

 

別の誰かにとっては世界の終わりのように感じるかもしれない。

 

だからくだらない悩みなんてないと思うよ。大丈夫。

 

 

 

あっ、くだらないとは思わないけど、これってどういうことなんだろうと思うことはあるわ。

 

「彼から連絡が来ないんです」という話を聞いてるのが

 

恋人すらいない私、っていうこのシステム何!?って。

 

リア充たちよ爆発したらいかがですか?とは思わないけど、

 

こんな私でごめんねっていう気持ちにはなる。

 

きれいなお姉さんに相談したいよねって。

 

 

 

というかね、くだらないだ何だって話をするなら、

 

私ほどくだらないことを気にする人間はいないと思うよ。

 

人が気にしないような小さなことが気になるから、こういう仕事をしているんだろうし。

 

永遠の思春期だしね。

 

 

 

だから大丈夫だよ。

 

 

 

はうる

少し前のことだけど、11月23日にライブに行ってきた。

 

CDにチケットの先行抽選券が入っていて、応募したんだ。

 

CDを6枚買ったのに外れた人も結構いて、2枚で当たったのは運が良かったみたいだ。

 

こういうことは、本当にめずらしい。私は自分のための願いは、叶わないことがほとんどなんだよ。

 

他人の願いを叶えるのは得意なんだけど。

 

振り返ってみると、好運が続いた気がする。ツアーのグッズを人から頂いたりとか、色々と。

 

 

 

セットはとてもシンプルで、深い夜の色に星がいくつかあるだけだった。

 

ツアータイトルは、「はうる」。

 

遠吠えを意味する英語、howlから。

 

負け犬が夜中に遠吠えをする、ということなんだろうな。

 

曲中に「負け犬」という歌詞も出てくるし。

 

 

 

ライブに行く前は、きっと号泣するんだろうなと思っていた。

 

でも前日の夜になっても当日の朝になっても、ライブ中ですら高揚感があまりなかった。

 

ホロリと涙することは何度かあったけど。

 

歳を取ったとか理由はいくつかあるけど、一番大きな原因は私の仕事にあるんだろうな。

 

この仕事を始めてから、人に期待をしなくなった。

 

人の本音を聞き過ぎているし、人を観察し過ぎているから。

 

それに私は「すごいですね!」と言われることが好きではない。

 

本当は先生と呼ばれることも好きではない。人とは横並びでいたい。

 

だから誰かを尊敬することはあっても、憧れることはなくなったな。

 

そういうのが行き過ぎると、人を寂しくさせるから。

 

 

 

ライブは、アーティストの「あ゛ーーーーーー!!!」という大絶叫で終わった。

 

喜怒哀楽が薄い彼のその遠吠えは、強く印象に残るものだった。

 

傷付きやすくて繊細だからこそ表情が一定で、本来は感情が過多なんだろう。

 

あの遠吠えをさせる「何か」は、いつも無表情で人に冷たい私にもあるような気がした。